ゆとり世代のプロサッカー選手。丸山龍也のオフィシャルブログ。現在は欧州リトアニアでプレー中。

2015年8月31日

『しにたい』という言葉は『しあわせになりたい』の略語

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
jesp


トラカイ今日はリーグ戦でした。

今季2点目のゴールを決めましたが、チームは4-8で敗北。
個人的にも、試合の内容以上にモヤモヤが多く残るパフォーマンスでした。

 

まあ、点決められたのはラッキー…公式記録に数字は残りますから、この1点が次の冬の俺の居場所に関わってくるのは間違いないと思う。

ぶっちゃけ内容よりも勝利がほしいし、同じぐらい自分の数字が欲しいし、そういう結果がほしいからこそ、コントロールできる過程を詰めていく。引き続きそれ。

でも、過程の詰め方がわからなくなってきたなあ、過程を詰めるって口癖みたいに言ってるけどなんのことだったんだっけ。

 


試合後には世界遺産トラカイ城を少しだけ見れました。

試合後には世界遺産トラカイ城を少しだけ見れました。



 

 

 

 

 

 

さて、今日のブログのタイトルはなかなかショッキングな感じになってますが(苦笑)

 

 

 

 

毎日読んでいる名ブログ「DJあおいのお手をはいしゃく」のDJあおいさんが書いた、今日の記事から引用させてもらいました。
(引用:生きているだけで精一杯なら生きているだけでいいんです – DJあおいのお手をはいしゃく http://djaoi.blog.jp/archives/41522473.html

 

 

 

 

 

 

あんまり引用するのも良くないとは思うのですが、今回の記事はなかなかいい言葉づくしだったので、ちょっとお借りさせてもらいます。ていうか、今日は引用しまくりブログになる予定でうs。

『しにたい』という言葉は『しあわせになりたい』の略語ですね
誤解を招くので略さないでちゃんと言うように
何よりも自分自身が騙されてしまいますよ

 

メンへラ?
べつにいいじゃないですか
全ての責任を放棄してやりたい放題言いたい放題なブタよりよっぽど人間らしいです

 

環境のせいにせず
他人のせいにもせず
全ての責任を自分に課して
そして傷ついて
そんな優しい人がしぬ必要はありません
胸を張って生きていていいんです

生きているだけで精一杯なら
生きているだけでいいんです

治す必要はないよ
今の自分を抱きしめてあげろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隠すまでもなく、自分はどっちかっていうとメンヘラです。いや、どっちかっていうとね。

 

 

 

 

 

 

丸山はポジティブな時はヤバイ。ちょっと内なる「ポジ龍也」は最近寝てばっかりなのであんまり何考えてるかわからないけど、今叩き起こして聞いてみたら、彼はなんでも出来るとマジで思ってる。ポジ龍也が本気出した時の快進撃はヤバイ。

ただ、「マルちゃんってポジティブだね!」と言ってる人は、まあオレのこと半分しか知らないなーって感じで、基本的に超ネガティブと超ポジティブが共存してるタイプの人間。

 

 

 

ポジティブな時はまあ放っといても元気なんですが、ネガティブな時は結構キツイです。「ネガ龍也」のネガLINEとかネガメールの犠牲になってる友人も数多いと思う。いつもごめんね。

このネガポジ共存型人間を、言葉とかタイプ別に分類すると「躁鬱」って症状が当てはまるらしいんだけど、躁鬱でも大変な人は大変だとお聞きするし、別にそういう診断結果を貰ったことがあるわけでないので、そうやって言うのは控えておこう。でも、そういうフシがかなりあると思う。

 

 

 

 

 

で、そんな超ネガティブな時の自分であることが実は殆ど毎日で、人生のうち殆どをネガティブに生きてきたように思う。
ネガ龍也の中でもポジ寄りとかネガ寄りとか色々あるんだけど、ネガ龍也がさらにネガった時はもうやばい。マイナスオーラでコップの水が揺れるレベル。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぐらいにまでなると、やっぱり時たま思う。死にたい。

これが今日のブログのテーマです。長い。

 

 

 

 

 

 

 

 

丸山と、死にたい、の歴史は深い。

 

 

 

 

 

今実家は横浜のセンター北ですが、まだ我が一家がセンター南に住んでた頃。つまり5歳とかそこら。年中〜年長さんらへん。
そんなちっさいのにも関わらず、何故か口癖のように「もう死ぬ」「自殺する」と言っていた時期があった。

キッカケはなぜかわからない。ドラえもんの中で、のび太くんが「もう死んでやる!」とか言ってたとか、そんなのかもしれない。

 

ほんで、そんなことばっかり言ってるから、ある日の食卓で父親に注意された。「そんなこと言うとお父さんもお母さんも悲しむよ。人生は大事にしなさい」みたいな話。てか怒られた。それ以来、しばらく口に出して言うことはなくなったと思う。

 

 

 

quiz01

 

 

その後、しばらく小学校で元気に遊んで10歳とかそこら。
両親が離婚したぐらいから、なんだか再びそんなことを思うことが増えたように思う。

 

 

この頃よくアーミーナイフというか十徳ナイフみたいな奴で指を切っていた(爆)死ぬ気もないし、自分を傷つけたくてやってるとは思ってないんだけど、今考えればこれリスカじゃねーかって。

傷つけたくてやってる気はないんだけどってのは、刃を指に当てて、どこまで横に動かしたら指って切れるのかな?みたいなスレスレのことをやってて、結局ギリギリを探すわけだから続けてるうちにどっかで切れる。ほんで血だらけになってた(笑)

 

 

 

 

 

リストカットって、かまってちゃんの側面もあるんだけど、実は手首を切ることでストレス解消になってるらしい。

っていうのも傷が出来たり血が出ると、脳は痛みを抑えたりするため、興奮物質をめちゃくちゃ分泌する。まあ脳がスパークするわけですよ。

死にたいと思ってる人はそういう快感を得るような脳内物質が足りてない状態だから、無理矢理にでもそうやって振り絞ってると言えるらしい。
しかもこういうのって麻薬と一緒で中毒性が高いから、繰り返してしまう。ってなわけ。

 

しかも血って、人間だれでも見たら少なからず興奮するものだし、その上かまってちゃん行為して誰かにかまってもらったらかまってもらったで、承認欲求が満たされるから、それによってドーパミンとかノルアドレナリンとかがバンバン出るわけ。

 

 

つまりあたしリスカしちゃった・・・みたいな女の子は

①リスカしたことで脳内物質出してる
②血見て興奮して脳内物質出してる
③かまってちゃんやって、もしかまってもらったら脳内物質出してる

みたいな感じで、普段足りてない脳内物質をガンガン出すためにそんなことやってるっちゅーことです。ちゃんと意味があるのね。

 

 

 

 

ほいで10歳のよく指切ってた俺。
当時リスカなんて言葉は知らないし、そもそも指切って死ねるとも思ってない。

でもしょっちゅうそうやって指をナイフで傷つけてたのは、多分色々としんどい毎日を吹き飛ばすために、無意識のうちにドーパミンとかセロトニンとかノルアドレナリンとかを呼び寄せるため、やってたような気がする。

 

お母さんいなくて寂しいなって無意識のうちに思ってて、なんとなく人生がツライなってわかっちゃって。そういえばサラリーマンとか絶対ならねえって決めたのもこの頃。俺は人生とは何か?みたいなことをこのぐらいからよく考えていた。

そういうこと考えててしんどい気持ちと、それとは別個に好奇心でナイフを指に当てて遊んでる自分と、全然気持ち的にはリンクしてないんだけど、感情と脳内物質の因果関係とかを調べていくと、あの頃の自分の行動は必然だったなとよく思う。

まあだから、リスカする人の気持ちはわからなくもない。

 

 

 

 

ほんで小6ぐらいになると、担任の先生も嫌いだし、親も嫌いだし、サッカーのコーチとか、友達の親とか、大人という大人が全部嫌になってた時期に突入してた。
学校はヤダ、家もヤダ、大好きな週末サッカーも監督に怒られてばっかでやだ。そんなんだから良く、「俺が自殺したら新聞とかに取り上げられて、周りの大人が悲しむかな」とかそんなことばっか考えてた。

でも、調べたら小学生で自殺するのも言うほど珍しくないし、あんまりニュースにならないのも多いというのがわかった。
だからどうせやるなら目立たなきゃダメだなと思ってたり。
うちの小学校にはおっきい時計台があって、その時計台から飛び降りたり、首釣ったりしたら伝説になりそうじゃん!みたいな、そんな怪しいことも考えてた。

 

 

 

 

 

幸いなことに、どれだけ病んでても俺にはいつも周りには友達がいた。

 

 

心がポジティブな時はサッカーとか公園で駆けまわるようなアクティブなことして遊んでくれる友達がいたし、そういうネガティブな時は、物壊したりイタズラしたり大人に迷惑をかけるようなちびっこギャング的な遊び方をしてくれる友達がいて、常にどうにかストレスは発散される状態が作れてた。

 

 

 

これで、友達少ないタイプの子どもだったらと思うと、ゾッとする。
今思えば、小学校6年なんて未来に満ち溢れてるし、野球選手でも宇宙飛行士でもなりたいものにはなんだってなれる可能性のある年齢だと思う。

 

 

だけど子どもの世界観なんて狭い。未来のことなんて考えても考えられないし、12歳ぐらいにもなると結構メンタリティは大人みたいなところあるから、悟っちゃうみたいな部分もやっぱりある。だから、それでいて友達もいなくて、家に帰ればひとりでコンビニ飯。マジでやってもおかしくなかった。

 

 

 

 

 

「本当にそんなこと考えてたのかよ〜」とか言う人は、俺の卒業アルバムに書いた作文を読んで欲しい。卒業アルバムがどんなに大事なものかなんて、小6にもなればある程度わかってるけど、その大事なアルバムの文集には大好きなサッカーのことなんてほどほどに、「僕は死にたいと何回も思いました」みたいなことを書いてる。
本田圭佑さんとかイチローさんの卒業文集もまま凄いけど、俺のもある意味負けてねーぞといつも思う(笑)

 

 

とはいえ、結局そんなことになってないのは、なんだかんだ沢山の人に支えられて生きてるというのがわかってたんだと思うし、本当に支えてくれてた。
たくさんの良い友だち、そして悪い友達(笑)
荒れ狂ってる俺に真摯に向き合ってくれた何人かの先生。
母と住んでない俺を、自分の子みたいにかわいがってくれた友達のお母さん。
そして家族にも。

その時は思わなくても、あとでじわじわくるタイプの感謝ってあるよね。感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

その後、中学・高校。
この辺から自分の人生が歪み始めた(笑)

 

この辺になると、もう数え切れないぐらいそんなことを考える。
中学校の同窓会の幹事とかやるし、思い出話も結構覚えてるから、さぞ中学生時代は楽しかったんだろうな!みたいに思われることもあると思うけど、実際は死にたいぐらい苦しい毎日の中で、やっぱり楽しいことがあるし素敵な友人がいたから、より強く心に思い出が刻まれてるということだと思う。

 

今、中学生の時って毎日どんなんだったかなーって回想すると、しんどいイメージばかり浮かんでくる。高校に限ってはもう思い出自体が全然ないし、数少ない思い出もつめた~い記憶になる。

 

自分の人生の可能性みたいなのに苦しくなった日ばかりだった。
人と違うレールを歩む、しかも才能ないのにサッカーやるとか言いはじめてるわけで、夢も希望もあるようでないような泥沼の中、頑張ったり頑張らなかったりしてた。
頑張ってて壁にぶつかり、頑張らずにいると頑張らないことに嘆いて、結局いつも暗闇にいた気がする。

 

失恋とかもそれなりにしたし、母親がいないだけに人並み以上にダメージは受けてた。
これは父子家庭の失恋話あるあるなんだけど、立ち直りが遅いか超早いかの2択に別れる(笑)

 

失敗したこともあった。アンラッキーなこともあった。

 

その都度、やっぱり落ち込んでて、考えてる。人生はここで終わりにしちゃってよくね?と。

 

 

 

 

 

でも、やっぱり生きてる。

 

 

 

 

 

 

 

あおいさんは過去のブログでもこんなことを言ってました。

誰にでも『しにたい』と思うような出来事は一度や二度はあるものなんですけどね

後になって思い返してみると
『しにたい』という思いは
実は素直な思いではないんですよね


正確に言えば『しにたい』という破滅願望は
『愛されたい』という願いなんです

自分自身を嫌悪して素直な思いを否定してしまうことから
『愛されたい』という願いは『しにたい』という破滅願望に形を変えてしまうわけです

http://djaoi.blog.jp/archives/9715501.html 

 

 

 

死にたいは愛されたいという願い。

しにたいは幸せになりたいの略。

 

 

 

 

5歳ぐらいに始まり、なんだかんだ今日まで色々言いながらも生きてるのは、たまーに愛されたり、たまーに幸せを感じてるからに違いないと思う。

 

高校卒業してからは、ますます大車輪で不幸が重なっていく。

天皇杯で退場、その傷も癒えぬうちに靭帯二箇所断裂、地獄の日々を乗り越えたと思ったら再断裂、復活して行ったタイでの苦行、スリランカでプロになったと思ったら指取れちゃって今も曲がらず。。。

詐欺にもあった。そういえば、詐欺にあったのは丁度半年前だ。

高校卒業してからもその都度死にたい死にたい言ってた。当時使ってたSNSのアカウントを確認すると、マイナスな言葉しか出てこない。
でも、その都度なんだかんだ思ってたのは、それぞれの悩みに加えて、愛されたいとか幸せになりたいとか、そういう気持ちが付随してたと思う。

 

 

いつも孤独なわけです。友達がこんなにたくさんいるのにも関わらず、居るがゆえに寝る前にひとりになるとコントラストがキツイわけです。

 

 

 

ただ、しんどくて、苦しくて、エグくて、気持ち悪くて、吐きそうで、泣きそうで、てか泣いてて、泣きすぎて涙も枯れてて、切なくて、悩んでて、後ろ向きで、死にてえとかつぶやいてる時に、ポッと愛されてるなーとか幸せだなーって感じる時があるから、きっとそん時の脳内物質が半端無いんだと思う。

きっと、俺はその中毒の虜になってるから、苦しくてもギリギリで死なずに頑張ってるんだと思う。メンタリティ的にはリストカットする人と同じ。もし上手く行った時の興奮半端無いし、まずサッカーやっててバチバチやってたら興奮するし、承認欲求もあるから難癖つけてブログやSNSもやるし。方向性は同じで、手段が違うだけ。

 

 

 

 

3120286049354

 

今の自分の部屋には大きい窓がある。
部屋はまあまあ高い。5階だけど日本の5階よりは高い気がするし、言ったら飛び降りたらまあヤバイだろうなぐらいの高さはある。

ナイフもある。スーパーで買った安いやつだけど切れ味はまあある。

首吊れる場所もある。交通量の多い危ない道もある。

 

ほいでもって、リトアニアに来てからも、結構メンタル的にグズグズなときもある。時もあるってか、そればかり。

 

 

 

でも、なんだかんだ毎日生きてる。

 

 

死にたきゃ死ねる。なんだって好きにすればいいと思う。

だけどそうしないのは、自分の可能性を信じてるからだし、人に愛されてるからだし、とにかくポジティブなパワーがたくさんあるから。ネガティブに埋もれてるみたいなとこはあるけど。

 

 

しにたいという気持ちは否定しません
そういうときもあります
私にもありました
恐らく誰もが味わう絶望だと思います

じゃあどんなしに方をしましょうか?
痛いしに方はやめましょうか?
恐いしに方はやめましょうか?
苦しまないでいけるしに方をしましょうか?
せっかくだから笑っていけるしに方をしましょうか?
しぬときくらい幸せを噛み締めていけるしに方をしましょうか?
じゃあそのための準備をしましょうか?
残りの人生全てを使って
幸せを噛み締めながらしねる
準備をしましょうか?

 

http://djaoi.blog.jp/archives/32679058.html

『しにたい』と思えるほど辛い思いをした人だけが
『しんでもいい』と思えるほどの幸せに巡り会えるものなんですよ

http://djaoi.blog.jp/archives/20714879.html

まあ、そういうことです。今しんどいのは全部、将来の幸せにつながってるんだ。

DJあおいさん祭りみたいになってるけど、、、、言いてえことはひとつ!

 

 

 

 

 

生きる!

 

 

 くよくよしても前に進む!それが俺の強さじゃ!!!!!

 

 

昨日の夜、ひとりでシクシクしてたのに点決めれた。
努力の成果じゃなくて、最近あまりにもくよくよしてるから神様がちょっとご褒美くれたんだと思ってる。

 

 

 

 

死にたい死にたい言ってたんだけど、それは幸せになりたいの略だということが、妙にしっくりきた丸山でした。もっと頑張ってお金稼いで素敵な奥さん見つけて幸せになるんだ!!!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加