ゆとり世代のプロサッカー選手。丸山龍也のオフィシャルブログ。現在は欧州リトアニアでプレー中。

2015年3月12日

3.11

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もう3月11日なのか。と思うと同時に、やっぱりこの日ぐらいは思いを駆け巡らせてみる。

 

うん、俺の意見は去年とも一昨年ともその前とも変わらない。

 

 

 

 

 

 

誤差でしかない。

 

 

 

 

 

地球儀や世界地図を見て欲しい、グーグルマップでもいい。

最大限に引いた目線から地球を見てみる。

横浜と仙台に、神奈川と東北に、一体何の差があったというのか。



ほんのちょびっとの差。横浜にも海がある。仙台にもある。女川にも石巻にもある。福島にもある。これを地球レベルで見れば、ほとんど全く同じ位置にある。



説明がつかない。この差を分けたのは一体何だったのか。

サッカーやテストのように、日頃の努力やもともとの才能で差がつくのならまだしも、あまりにも無作為に無秩序に生と死を分けたのが3.11だった。

 

 

 

 

あの日のことはあまり思い出したくない。ひとつひとつを鮮明に覚えている。とても苦い気持ちになる。

教習所からやっとの思いで帰宅してテレビを点けた瞬間、飛び込んできた気仙沼の大火事、仙台の湾岸に数百の死体というテロップが流れた時、世の中がそんなんだというのに買い占めやガソリンの列に必死になる関東人、SNSで気の抜けた言葉を並べる地元の人間、寝れない夜、何も出来ない自分、余震、不安、恐怖。

 

今更俺が並べるまでもなく、多くの人が同じような体験をしたと思う。誰と話をするにも100%地震の話だった。

 

ボランティアに行きたかった。やっとの思いで行けたのは新浦安だった。エレベーターが泊まった高層マンションに住むお年寄りに、水を運ぶ仕事だった。何回も階段を登り降りした。でも、何をしても何をしても自分が惨めにちっぽけに感じるだけだった。

 

 

 

 

 

15時に着くはずの電車が15時1分に着いた。

ストラックアウトで1番を狙ったが、惜しくも2番にあたった。

ちゃんと計算していたはずなのに、財布の中の小銭が10円足らない。

4人前と書いてあったピザが、4人では物足りなかった。

 

 

それと同じぐらいの差しかなかった。3.11で生きた自分と、被災した誰かや亡くなった命は。








 

 

その人達の分も生きるとか思わない。どうやったらその人達の分も生きれるのか教えて欲しい。
そういう人のために使う言葉を制限したりもしたくない。言葉は人と人との繋がりの中で、大事に選んで使いたい。

 

実に無力。俺が100兆円持ってるとする。全額寄付する。これで被災した全ての人が報われるのか、いや報われないだろう。
俺が明日から毎日足が攣るまで走る。それを10年続ける。だからなんだという話だ。
黙祷する。それは大事なことだ。でも失ったものは戻らない。

 

 

そう、失ったものは戻らない。そのルールに差はなく、どこかの大富豪もストリートチルドレンも、平等に与えられている差のないルール。

 

 

人類には、地球には、いくつかのルールがある。時間は平等だったり、命ある限りだけ生命が続くことであったり。生物の中で強いものが生き残るということであったり。

そのルールがあってしても、運やトラブルで立ち位置は大きく左右される。ここはそういう不確定な要素だらけだ。生きとし生ける物が歩み続ける限り、エラーばかり起きる。地球はそういうところ。


結局のところ、そのルールの上で、時に理不尽で厳しい現実に直面し、その度に苦しんだり悲しんだり、または工夫したり喜んだりしながら、自分の人生を、自分だけの人生を歩んでいくしかないんだと思う。

 

 

アドラーやジョブズは言った。他人の人生を生きるな、自分の人生を生きろ。

被災地に想いを巡らせることもある、苦しい現実を目の当たりにするときもある、同情したい気持ちにもなるだろう。偽善もするかもしれない、誰かを助ける日も来る、助けてもらうことだってあるはずだ。それでも、他人の人生ではなく、まず自分の人生を生きる。

例え、前代未聞な未曾有の大災害が起きようとも、そうするしかないのだから。

 

 

まずは自分自身に精一杯、全力で。

 

自分が自分の道を自分で歩くことが、終わってみれば何かの償いや供養になると信じて。

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